2005年7月31日

今年は広島と長崎に、世界で始めての核兵器による攻撃が行われてから、60周年目にあたります。

広島の平和祈念館のホームページは充実しており、展示品の一つ一つをドイツからも見ることができます。熱線で焼け焦げた三輪車、溶けた瓦やガラス瓶、火傷を負った人の皮膚の一部のホルマリン漬け、原爆症で抜けた髪の毛などを見ると、日本人に対して原子爆弾の人体実験を行った、当時の米軍に対して、強い怒りを覚えます。

1988年に広島でこれらの展示物を目の前で見た時の、戦慄を思い出しました。

9月11日事件に見られるように、イスラム系テロ組織の、米国に対する大規模テロの危険は21世紀に入って高まっていますが、核物質を使ったテロの危険は、イラクよりもパキスタンの科学者A・Q・カーン博士が、リビア、北朝鮮、イランなどに核関連技術を売っていた事実によって、大幅に高まったと思います。

カーン博士の核技術販売が、政府の黙認なしに行われていたとは到底信じることができません。しかし、米国にとってパキスタン政府は、ビン・ラディン追及の上で重要な協力者であるため、米国政府は、カーン博士に対するパキスタン政府の「恩赦」に抗議もしませんでした。

カーン博士が築いた核の闇ネットワークの実態は、まだ完全には解明されていませんが、テロリストに核物質や核技術がわたるとしたら、この闇ルート経由になる可能性が最も高いでしょう。

米国はイラクの泥沼に足を取られている場合ではなく、本来は史上最悪の核拡散事件の主犯である、カーン博士とその協力者であるパキスタン政府を、本腰を入れて追及するべきではないでしょうか。